大麻山神社
たいまさんじんじゃ
大麻山神社は島根県西部の浜田市にあり、日本海や中国山地を一望することができる標高599mの大麻山(たいまさん)の山頂近くに鎮座します。延長5年(927)編纂の延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)にも記載され、由緒ある式内社(しきないしゃ)として悠久の歴史を持ちます。
主祭神
天日鷲命
あめのひわしのみこと
阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波(あわ)の忌部氏(いんべし)の祖神。
日本神話では、天照大神が天岩戸に入られたとき、穀(カジノキ:楮の一種)・木綿(ゆう:楮のこと)などを植えて白和幣(しろにぎて)を作ったとされる。そのため、天日鷲命は「麻植(おえ)の神」とも呼ばれ、紡績業・製紙業の神とされている。
猿田彦命
さるたひこのみこと
日本神話では、天孫降臨の段に登場する。天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を天之八衢(あめのやちまた)から道案内した国津神(くにつかみ)。
大麻比古【=天太玉命】
おおあさひこのみこ【あめのふとだまのみこと】
忌部族の遠祖とされる神。天照大神が天岩戸に入られた際に、鹿卜(しかうら)をし八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・八咫鏡(やたのかがみ)・白和幣(しらにぎて)・青和幣(あおにぎて)を付けた賢木(さかき)を太御幣(ふとみてぐら)として手に取り持ったとされている。
配祀神
蔵王権現
ざおうごんげん
熊野権現
くまのごんげん
走湯権現
そうとうごんげん
山王権現
さんのうごんげん
白山権現
はくさんごんげん
縁起
その昔、双子山と呼ばれていたこの地に異僧がやってきて、尊勝陀羅尼(そんしょうだらに:仏教の呪文の一種)をとなえて里人を教化したことから当地の歴史ははじまります。やがて神託により阿波国(現徳島県)の大麻比古神社と忌部神社から祭神の分霊を迎え、仁和4年(888年)に社殿が建立されました。このことに由来して山名も大麻山と改められました。
古代、強大な出雲の勢力に対するけん制として大和政権がさまざまな部族を石見地方に植民しました。このとき大麻山周辺に移住したのが麻や楮の殖産に長けた阿波国の忌部族であり、その氏神が祀られたというのがこれらの伝承の背景にあると考えられています。
天暦3年(949年)には境内に尊勝寺(真言宗)が建立され、以降、大麻山神社は五社権現を合祀する両部神道の宮として尊勝寺別当が管理しました。戦国時代には戦火や火災により消失しましたがその後再建され、中世の最盛期には西の高野山とも呼ばれ大いに栄えました。その様子は天正20年(1592年)に描かれたとされる大麻山諸伽藍宮立坊中絵図〈島根県指定文化財〉からもうかがい知ることができます。
しかし、天保七年(1836年)の長雨による地すべりのため、尊勝寺、大麻山神社ともに倒壊、さらに明治五年(1872)の浜田地震で被災し、明治の神仏習合廃止がきっかけとなり尊勝寺は再建されることなく廃寺となりました。
その後大麻山神社も尊勝寺廃寺に伴い荒れるにまかせ放置されることとなっていましたが、大正14年(1925年)氏子の要請により、当時近隣の駐在であった白須鶴峯(現宮司、白須信男の祖父)が宮司となり、身命を投げ打って復興にあたりました。昭和3年には現拝殿の再建、さらに京都においてさえ、その名が知られていた大麻山神社の庭園の復元をも成し遂げました。